所員雑感

所員雑感 Vol.28 娘と一緒にスペインの旅 第3話(イスラム文化編)

弁護士 中野 直樹

乾いた地中海から、潤水のグラナダへ

 ミハスの朝の散歩をしていると、観光用ロバが6頭繋がれて「出勤」で坂道を上ってきた。その後を遅刻した1頭がとぼとぼと追いかける姿がユーモラスだった。

 地中海側の降雨日は、年間40日くらいだそうだ。これでは野菜が育たない。バスで、海岸通りから内陸に入り、延々とオリーブ畑が続く山岳ハイウエーを約2時間走った。時間つぶしに、添乗員がスペインあれこれ情報を提供してくれた。そのなかにスペイン語が日本語化した言葉の紹介があった。「ピリピリ」=辛い、「ピン(=小さい)からキリ(=キリスト)まで」、「カルタ」、「コンペイトウ」、「カッパ」、「ジグザグ」、「コップ」、「パン」などなど。

 バルセロナからの飛行機から眼下に見えた、残雪で真っ白なシエラネバダ山脈(最高峰3482メートル)の麓にグラナダのまちが広がる。雪解け水が肥沃な土壌をつくり、野菜の宝庫だという。

1592年 スペインの記念すべき年

 この年は、コロンブスが新大陸を発見した年である。以後、新大陸から、ジャガイモ、トマト、ピーマン、トウガラシ、カカオが欧州に持ち込まれた。同時に、スペイン国王フェルナンド王・イザベラ女王が、イスラム勢力が最後まで手放さなかったグラナダをキリスト教徒の社会に取り戻した、レコンキスタ完成の年であった。イスラム教徒が711年にイベリア半島に進出してから800年支配したのがグラナダである。乾いたアフリカの地からきた人々には、水の豊かなグラナダは理想の郷であったろう。

アルハンブラ宮殿の思い出

 グラナダは24万人の人口のうち8万人が大学生だという。緑に包まれた美しいまちだ。サングリア、アルハンブラビール、ニンニクを煮込んだアホスープなどで昼食に満足した後、超目玉のアルハンブラ宮殿に入った。

 この宮殿はイスラム建築の最高傑作だと言われている。庭園にはオレンジの木が植えられ、水路が引かれて幾多のアーチを形作る噴水が仕掛けられている。乾いた土地からきたイスラム民族の気持ちが表れている。タイル、鍾乳石飾り、漆喰と寄せ木による精緻なアラベスク模様がアーチ壁・天井を覆う。私にはこの芸術性を理解する知識も表現力もなく、ただ感嘆するばかりである。おそらくアフリカと同じであろう、乾いた、強烈な陽光の取り込み方は巧みであり、中庭の池の水面に真っ青な空とアーチ壁の影を落として、対称鏡面を作り出しているところには気品ある美さがある。

 イスラム王朝は1200年代からこの宮殿の建築に着手し、幾代もかけて増築し、栄華を築いた後、1592年無血開城によりキリスト社会に引き渡した。その後、スペイン王朝は、ルネサンス式の教会や宮殿等を持ち込んだ。しかし、アルハンブラ宮殿は、カトリックの宗教的不寛容に屈することなく、いささかも動揺せず、イスラムの美を悠久の時を経て継承している。

2015/09/03
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